このブログはなに?
以下のブログ記事への返歌です。
タイトルはマロリーの言葉のオマージュです。
自分がカンファレンスに参加するにあたり、考えていることを改めてまとめると、結局タイトルの通り「Because it's there.」に行き着くことに気づきました。
一見すると、先のブログの通り「なんとなく」で参加しているように見えるかもしれませんが、反論でも同調でもない、自分なりの考えを綴りたいと思います。
はじめに
もとブログの体裁にならって、カンファレンスと自分を振り返ります。
3年前くらいまでカンファレンス参加はJJUG CCC*1のみでした。参加が増えたのはここ1~2年くらいです。
最近の活動だとJJUG CCCは一般参加から登壇メインになり、Kaigi on Railsにも登壇しました。また、Object-Oriented Conferenceでは当日スタッフとして参加し、コミュニティとも積極的に関わるように変化しています。
先日のPHPカンファレンス小田原ではKanonさん同様、前夜祭から参加しました。私も前夜祭からの参加はこのイベントが初めてです。(参加レポート)
JJUG CCCの参加は新卒から2年目のときに当時の上司に連れられていきました。そこでJavaのセッションを聞いて、「いつかここで登壇してやる」ってこっそり決意していたのは、また別の話です。 正直に言うとその当時は、ある種の義務感で参加していました。
それが変化したのは流行り病により、多くのイベントが中止になり、オンラインでの開催を余儀なくされたことがきっかけでした。
バットは振らなきゃ当たらない
再現性のない私の人生はポテンヒットにあふれています。ちなみにアメリカだとテキサスヒットと言うらしいですね。
そしてもとのブログでは「生存者バイアス」という言葉でまとめられています。否定の余地がないですね。自分でもポテンヒットって言ってるくらいですから。
ただ、「偶然」にもオンラインイベントが中心となり、それらのイベントに参加して行く中でいくつか気付いたことがありました。
全然勉強になっている気がしないぞ
これはとてつもない危機感でした。もとのブログの言葉を借りるなら「文字通り人生を損している」状態です。 なぜ勉強になっていないと思ったのでしょう?
予定調和と弱虫な自分
大きくわけて2つのことを感じました。結果として流行り病という「偶然」により、カンファレンスで得ていた「偶然」を失っていました。
- 会話による化学変化のなさ
- 興味のないことへの回避行動
それぞれもう少し詳しく説明します。
会話による化学変化のなさ
懇親会や質疑応答、あるいはAsk the Speakerによって会話の中で生まれる未知への遭遇が減ったように思えます。
学習する際はインプット3割、アウトプット7割が良いと言われているようです。 会話の素晴らしいところはインプットとアウトプットを同時になし得ることだと考えます。
さすがに3:7にはならないでしょうけれど、「相手の話を聞いて、反芻し(インプット)、自分の理解を述べる(アウトプット)」、それを自分よりはるかに経験のあるエンジニアや全く違うドメイン知識を持った相手とできることはなんと幸せなことでしょうか。
オンラインのイベントでは、参加者同士の会話は生まれず、一人で解釈して、なんとなくでイベントが進行していきます。そこに明確な「能動」が挟まる余地はあまり多くありません。
興味のないことへの回避行動
前述の内容はセッション外の話がメインになりましたが、オンラインイベントはセッション中についても問題があります。
スタッフや登壇者には少し失礼な話になってしまうかもしれません。
それは「興味が薄いセッションの時間は家事やゲームができてしまうこと」です。 もちろん良い面も多いです。ここで多くは語りませんが、地域に関係なくイベントに参加できる良さもあります。
どうしても興味が薄かったり、難易度が高すぎたりして、聞きたいセッションがない時間が発生してしまいます。
そんなとき、オンラインイベントだと「他のこと」で時間を潰すという選択肢が取れます。 一方で現地参加では、外に出ても微妙だし、とりあえず少しでも興味のあるものを聞いておこう、と思いやすくなります。
ここでなぜ興味が薄いかについて深堀りします。私が感じていることは次の3つです。
- ドメイン/レイヤーが違う
- 難易度が合わない
- 単純に興味のある技術領域ではない
これ、実はめっちゃチャンスだと思いませんか? 難易度が低すぎて合わないケースを除いて、セッションを聞けば強制的に、未知の領域の話に触れることになります。
ZOEさんが最近まとめていた、「学びの壁5段階」で言う、知識の壁まで一気に突破し、もしかしたら気づきの壁も見えるかもしれません。
x.com以前作った「学びの壁5段階」の図を「コンフォートゾーンとラーニングゾーン」にからめて考えたものを図に整理した
— ℤ𝕆𝔼𝟛𝟘𝟚/ウィルゲートVPoE (@for__3) 2024年4月17日
習慣の壁を超えて、いつでも発揮できる能力にするのは大事でありつつも、それだけではなく常に新しい領域にチャレンジして「学びの壁5段階」を一から登り習得するサイクルが大事 pic.twitter.com/SX6ca7IQlQ
結局なにが言いたかったか
私は結局、カンファレンスに対して予定通りのカンファレンスを求めているのではなく、偶発的な、あるいは運命的な知識の横幅を求めていました。
カンファレンスは、かなりの確率でそれを叶えてくれる、――とりあえずバットを振ればボールが当たってくれるような――とても良い環境だと感じています。
私はなにかを求めてカンファレンスに参加していますが、行ってみないとわからず、事前に説明できるものでもありません。
つまるところ、私は「そこにあるから」カンファレンスに参加しています。
そして、本や動画じゃ駄目な理由も自明となると思います。
to the top
マロリーはエベレストの頂上付近で行方不明になり、そのまま命を落としています。
彼はベストを尽くしてエベレストの頂上を目指しました。結果、頂上にたどり着けたのかは不明となっています。
カンファレンスで「偶発」を「狙う」ということがこれまでの話の主体でした。 一方で最近意識していることがあります。
それはやりたいことは全部やるということです。
頭の良い選択ではないかもしれません。例えばObject-Oriented Conferenceでは、次のようなことをやっています。
- ガイドブックに寄稿する
- 当日スタッフとして参加する
- 事前準備のお手伝いをする
- LTをする
- とりあえず手を上げる
なぜやったかといえば「やりたかったから」です。じゃあなぜやりたかったかといえば、とにかく経験を増やしたほうが今は良いと考えたからです。
アウトプットを出すには、相応のインプットが必要だと考えています。 ブログ等として出すには1つ、または複数のインプットを混ぜたり、深堀りしたり、ずらして考えたりして、解釈し、情報を形成します。
成果を出し続けるための知識はまだまだ足りていないと感じ、経験から吸収するために、異なる領域の作業も積極的に参加し、「偶然」に備えている状況です。
本音を言えば「明日死ぬかもしれない」というのもあるかもです。
紅白歌合戦でまふまふさんが歌った、カンザキイオリさんの『命に嫌われている』でも、そう歌われてますね。
結局、貧乏性なのかもしれませんね。
ちなみにこの章のタイトルは『ハイキュー!!』4期から取っています。
おわりに
結局『「なんとなく参加してる」「ただ楽しいから参加してる」「目的を探すために参加してる」人へ』の焼きましになってしまいました。
ただ、そこへ至るにあたって、書きたいことは書けたので良しとします。
おやすみなさい。